子供時代のたった一つの「興味点」から、世界は無限に広がっていく。
私にとっての「点」は映画だった。
私の文章力と絵を描く才能は、中学生のときに突然、開花した。
……あ、先に言っておきます。この記事は「私には文章力と絵心がある」という大それた前提で書かれており、しかも、無駄に長いです。読み終えたあとに「なんだよこれ!」ってなる可能性がかなり高いので、あくまでも自己責任で読み進めていってください。
さて、最初から、やり直そう。
私の文章力と絵を描く才能は、中学生のときに突然、開花した。
その源泉はいったい何だったのかと、時々、ぼんやり考えることがあったのだが、最近になって、それは小学4年の夏休みに自宅のテレビで見た1本の映画だったのだろう、という結論に到達した。
それは『エクソシスト』である。
公開からおよそ50年が経った今日では、ホラー映画の古典的名作として、その認知度は世界的に見ても極めて高い。どうしても、ホラー映画のジャンルで語られることが多い本作だが、単に人を怖がらせたいだけの娯楽映画とは違って、実際には社会派ドラマの傾向がかなり強い作品となっている。
首が180度回転するあの有名な「悪魔に取り憑かれた少女」は、実際には物語の主役ではなく、むしろ、舞台装置のような存在で、本当の主役はその周囲にいる大人たちである。明確な主人公のいない群像劇の体裁をとり、当時のアメリカ社会が抱えていた人種、宗教、家庭問題などの諸問題を、ドキュメンタリー・タッチで描き出す。
惜しくも最優秀賞の栄冠は逃したものの、1974年の米国アカデミー賞の作品賞にノミネートされた5本のうちの1本だったといえば、私のこの話に納得してくれる方もきっといるだろう。
とはいえ、この映画を初めて見た小学4年の私にとっては、これが単なる娯楽映画であったことは、まぁ、言うまでもない(笑)。
映画好きだった父の影響で、小さい頃から映画に親しんでいた方だったが、本格的に映画にハマるきっかけとなったのがこの『エクソシスト』で、この体験を境に、私は貪るように、ホラー映画に傾倒していくことになる。折しも、80年代はホラー映画が一大ブームで、多くの作品が映画館やテレビで放映されていたことも私の興味に拍車をかけた。
その後、私の映画への興味は、ホラー映画を中心として、その周囲にあるSFやサスペンス、ミステリー映画などにも広がっていった。
人生の転機を生んだ作品との出会い。
小学5年の頃だったと記憶しているが、私は『エクソシスト』以来の映画一辺倒だった自分の趣味の世界に、大きな転換をもたらす1本の作品と出合うことになる。
角川春樹事務所の第一回映画作品。
市川崑監督の『犬神家の一族』だ。
実は、この映画こそ、真の意味で、私の文章力と絵心の源泉となった記念碑的な作品なのである。
この映画は、「読書」という新たな趣味を私に与えてくれる鍵となってくれた。角川春樹氏の「本と映画のメディアミックス」戦略の恩恵を、ストレートに受け取った好例と言って良い。
それまで、本を読むことがとにかく苦手で、国語の成績は当然、いま一つ。夏/冬休みの宿題でおなじみの「読書感想文」に至っては、始業式の前日に母に怒られて泣きながら書いていたものである。
そんな私が、突然、読書の世界に目覚めた!
……わけもなく、始まりは「映画の原作本が欲しい!」くらいの軽いノリだったように思う。
ただ、せっかく買ったのだし、映画で一度見た内容なら、読解力のない自分でもどうにか読み進めていくことができる。『犬神家の一族』の原作を皮きりに、『悪魔の手毬唄』『獄門島』『女王蜂』『病院坂の首縊りの家』といった、およそ小学5年生の少年が読むのには似つかわしくない内容の小説を、徐々に徐々に読みふけるようになっていった。
似つかわしくなかった理由は、エロ・グロ描写の多い物語の内容だけでなく、原作者・横溝正史先生の文体にもある。有名な作品のほとんどが昭和21~35年頃に書かれていたこともあり、古めかしい言葉づかいと横溝先生の独特な言い回しとが相まって、小学生の身にはとにかく読みにくかったのである!
ただ、段々とその文章に慣れていったのは、少年時代の柔軟な脳のおかげだったのかも知れない。私はやがて、映画の原作の枠を超えて、「横溝正史の探偵小説の世界」にどっぷりとハマっていくことになった。
自然と、自分でも探偵小説を書きたいと思うようになり、初めて書いた小説のタイトルは『苫小牧港連続殺人事件』。中学生の頃だっただろうか。図書館に通って、地元の苫小牧港(陸側6kmにわたって人工的に掘り込まれた港)の歴史なんかを調べて、それをトリックの要にしたように思う。まぁ、小説なんて呼べる代物ではなかったと思うし、完結させられた記憶もないが、これが自発的に作文をした最初の例だったと自認している。
大人が大人向けに書いた文章を、小学生の頃からたくさん読でいたことで、自然と語彙力もつき、表現力なども身につけていった。昔から、ちょっとませた文章を書くことでは定評があった私である。一度も褒められたことはなかったが。
さて、図らずも読書から作文に話が急展開してしまったので、ここら辺で、話題を絵心の方に移すことにしよう。
子供の頃に得た知識やスキルは大人になって必ず生きてくる。
私が自発的に絵を描くようになったきっかけ、というのも実は横溝正史の探偵小説に起因している。
いや、厳密に言うと、横溝正史の文庫本の「表紙」である。
イラストレーターであり銅版画家でもある杉本一文先生の表紙絵の数々が、ホラー好きだった私の心にざっくりと突き刺さったのだ。初めの頃は、本を読むために文庫本を買っていたというより、杉本先生の装丁画を集めるために買っていたと言ってもいいくらい、その魅力に惚れ込んでしまったのである。
文章でも同じことが言えるのだが、興味を持てば自分でも真似てみたくなるのが、人の心というもので。
夏/冬休みの宿題でおなじみの「絵を描く」ことが大の苦手で、始業式の前日に母に怒られて泣きながら絵を描いていた小学生の私も、次第に、その楽しさに引き込まれていった。
絵の趣味は、映画の趣味と融合されて、写真や造形への興味にも繋がっていく。
このようにして、小学5年生のときから自分の中に吸収し始めた文や美術に対する感性が、やがて中学生になって開花していくことになるのだが、ここから先は単なる自慢話になってしまうので、大きく割愛するとしよう。(ホントかよ?)
さて。
どんなに満足のいくものが書(描)けても、誰から褒められようとも、10代の頃に、この分野の仕事につきたいと思ったことは実は一度もなかった。
が、結局、蓋を開けてみると、社会人になって営業職として最初に入ったのは偶然にも出版社で、その時からその界隈の業界で20~30代の長い時間を費やすことになってしまったのは、以前、このブログでも掲載したとおり。
はっきりした目標もないまま人生を歩いてきた。 ー40代・元編集者が挑戦し続ける理由【細谷豊明】
絵を描くこととデザインを引くことは、似て非なるものではあるけれど、対象をどう捉えてどう表現していくか、といった根本的な思考作業は変わらないので、全くの独学ではあるものの、今では、デザインワークも自分でやってしまっている。
こういうことを自分で完結できると、自分でビジネスを始めたときにはとても役に立つ。外部のライターやデザイナーに発注しなくて済む分、かなりのコスト削減につながるし、好きなように自分の世界を表現・発信できるから、かなりお薦めのスキルである。まさか、農業でこんなにフル活用するとは思っていなかったけどね。
小学4年生の時に見た映画『エクソシスト』が、私にとっては全ての「興味」の原「点」であり、磨き続けてきたスキルの出発「点」でもある。
子供時代のたった一つの「興味点」から、世界は無限に広がっていく。
皆さんにとっての「点」は何でしたか?
秋の夜長ですから、そんなことに、ふと、思いを馳せてみるのも良いかも知れませんね。
というわけで、今回もまた、前回の『細谷豊明という名前に聞き覚えはありますか? - ネット時代における実名公開のリスクを考える』に引き続き、タイトルのわりには大して学びもない、他人にとってはどーでもいい、さらには若干、自慢まで混じってしまっている自己満足のための記事を、貴重な休日にこうしてダラダラと書き進め、読者の皆さんの貴重な時間まで奪い取っているというこの体たらく。そんな暇があるなら、『失敗しない新規就農者への道(5)』の続きを書けよ!と怒られそうだが、連載というのは、ある程度、まとまった時間を確保できないと集中して書けないので、そちらは、今季の収穫期が過ぎるまでお預けということで。
あ、いけね。
すっかり、忘れていたんだけど。
これから収穫が始まる我らが「北条太郎」の、里芋らしからぬ、オシャレでスマートな販促用プレスリリースを自分で作ったので、要チェックだよ!
その告知をするために書き始めたんだったわ、このブログ(笑)。
って、また、このパターンかよ!
著者プロフィール
細谷豊明(ナチュラルファーム・リブラ代表)/1975年北海道生まれ。イギリス留学後、出版社・編集会社での勤務を経て、食品宅配事業のWebサイト、カタログ制作のチーフエディターに就任。2019年、44歳のときに小田原市に移住し、未経験ながらも農業の道へ。元エディターの経験を生かして、新規就農者の視点から農業の現実をブログにて発信中。小田原市・認定新規就農者。