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北条梅子の物語

北条梅子の名前の由来

『北条太郎』の姉妹ブランドとして誕生しました。青梅は若々しい姫のイメージ、梅干しを含む加工食品は落飾した尼僧のイメージです。リブラ農園では、曽我地域で伝統的に行われている栽培・加工方法を継承して地域の発展に貢献したいと考えています。

*「北条梅子」は現在、商標登録の準備中です。

           


           

『曽我梅林』のお話

概要

茨城県水戸市の「偕楽園」、埼玉県入間郡越生町の「越生梅林」と並び、関東三大梅林の一つに数えられることのある神奈川県小田原市の「曽我梅林」。小田原市北東部に広がる梅林の総称で、曽我別所、曽我原、中川原の3地域を中心に、約35,000本の梅が栽培されています。

毎年2月には、小田原梅まつりが開催され、富士山と梅林の景色を楽しむ多くの観光客で賑わいます。

               

歴史

小田原梅の起源はとても古く、およそ500年前、戦国時代の後北条氏が植え始めたとする説が一般的です。その後、江戸時代に入り、小田原藩主・大久保氏が奨励したことで当地での栽培が盛んになったとされています。

小田原市から二宮町にかけて、かつては広く塩田があり、食塩の入手が容易であったことで、梅漬けの生産が盛んになったこと、そして、この梅漬けが、江戸時代、箱根山を越える旅人の貴重な栄養源として供給されたことが、小田原の梅栽培の発展を支えました。

昭和に入ると、みかん栽培に転向する梅農家が急増し、曽我梅林は一時、衰退したものの、昭和30年以降、当時の市長の働きかけで、再び、小田原市の特産品として復活を遂げています。

               

栽培品種

曽我梅林で栽培されている梅のほとんどが食用に栽培されており、梅酒用の「白加賀」、梅干し用の「十郎」「南高」が代表的な品種です。このほか、「梅郷」「杉田」「玉英」「甲州最小」「竜峡小梅」といった品種も栽培されています。

この中でも、特に「十郎」は、小田原のオリジナル品種で、果肉がきめ細やかで厚く、果皮が薄いので、高級梅干しの原料として、多くの農家が栽培をしています。

               

『梅』のお話

※編集中

概要

 

豊富な栄養価

 

梅の加工食品

 

梅干しを使ったお薦めのレシピ

 

梅暦