飲み友達のスーさん

その人の名前は鈴木さんという。

2年前、農業修行をするために僕は見ず知らずの小田原にやってきた。小田原といっても、住み始めたところは市街から遠く離れた農村のような場所で、車がなければ日々の食料すら買いに行くことのできないまさに辺境の里山だ。

単身で移住していた僕は心の拠り所を求めて、その里山に一軒だけある居酒屋に通い詰めるようになった。そこに僕と同じように一人でやってきていたのが鈴木さんだ。意気投合した僕たちはいつしか飲み友達になった。

鈴木さんは年齢が70歳頃。人生の大先輩に対して「友達」と表現するのはおこがましい気もするのだけれど、鈴木さんとの酒席を思い出すたび、僕はやっぱり「友達」という言葉を使いたくなる。

鈴木さんはよく家族の話をしてくれる。自身の両親や兄弟の話、奥さんの話、息子さんたちの話、孫の話。お酒が回ってくると、とくに決まって、何年か前に成人式を迎えた孫娘の話を嬉しそうにするのだった。そして、最後にはなんの脈絡もなく、「良い農家さんになってくださいね」と僕の肩をポンと叩いて千鳥足で居酒屋を出ていく。そんな鈴木さんの背中を僕は何度も見送った。

小田原に移住して半年が過ぎた頃、新型コロナの感染者が日本国内でも急速に増え始め、4月には一都三県を中心に最初の緊急事態宣言が発令。その居酒屋も休業することになった。宣言が解除されるまでの1か月半、僕には農場と自宅の往復とコンビニ弁当を食べる毎日が続いた。

5月下旬、居酒屋の営業が再開することを知った僕は久しぶりに暖簾をくぐった。僕の顔を見るなり、大将がくもった顔で僕に話しかけてきた。

「スーさんが亡くなったみたいなんです」

大将もまた人づてにその話を聞いたようで確証のない様子だった。あまりにも突然すぎて、しばらく状況が飲み込めない。思えば、鈴木さんとはその居酒屋で酒を酌み交わすだけの間柄。またいつでも会えると思っていたから、わざわざ連絡先や住んでいる場所を聞くこともしていなかった。

はっきりと確かめるすべがないまま、時間だけは流れ、やがて本格的にコロナの猛威が広がり、その居酒屋は長期の休業に入って、現在にいたる。

先日、長い緊急事態宣言がようやく明けた。

そろそろ、あの居酒屋も営業を再開するだろう。

ひょっとしたら、亡くなったというのは単なる噂で、元気な鈴木さんがいつもの席で僕を待ってくれているかも知れない。

「スーさん、2年の研修が終わりましたよ!これから、農家として独り立ちしますよ」

 

「良い農家さんになってくださいね」

 

何度も聞いたあの言葉がまた聞きたくて、僕は一人、暖簾をくぐる。

 

*2021年10月に執筆したものを再掲しました。

著者プロフィール

細谷豊明(リブラ農園・代表)/1975年北海道生まれ。イギリス留学後、出版社・編集会社での勤務を経て、食品宅配事業のWebサイト、カタログ制作のチーフエディターに就任。2019年、44歳のときに小田原市に移住し、未経験ながらも農業の道へ。元エディターの経験を生かして、新規就農者の視点から農業の現実をブログにて発信中。小田原市・認定新規就農者。

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