失敗しない新規就農への道|小田原編(5)
覚悟と忍耐(1)
小田原の東側。市街地から20分ほど車を走らせたところに下曽我地区はある。かつて下曽我村と呼ばれたこの地区は1954年(昭和29年)に小田原市に編入した。
戦後、みかんの生産で栄えた地域で、現在の御殿場線(かつての東海道本線)の下曽我駅前は、地方から出稼ぎにやってきた人々や地元の人たちで大層にぎわっていたらしい。今では想像もつかないが、料亭や置屋(芸者を抱えている家)などが繁盛し、映画館もあったという。
しかし、今は見る影もない。
3年前に初めて東京からこの地を訪れた私は、下曽我駅前のあまりの寂れっぷりに、本当にここで生きていけるのかと、うすら寒い思いをしたほどだった。
さて。
小田原城でT君を降ろした私は、下曽我にある師匠の農園に車を走らせていた。
キウイ畑用の肥料が届いたから、引き取りに来て欲しい、と前日に連絡を受けていたためだ。
-積み込みが終わるまでは、(天気が)持ってほしいな。
眼前に広がる雨雲を恨めしく思いながら、私はハンドルを握った。
師匠の農園にたどり着いた私は、頼んでおいた肥料の袋(25kg)を15体、一つ一つ担いで軽トラの荷台に積み込んだ。これがなかなかの重労働で、終わるころにはじんわりと汗ばんでいたほどだ。
-降られなくて済んだ。
積み込みを終えて、屋根のあるコンテナ倉庫で一息ついていると、
「なんだい、あんたか」
と、物陰から突然、師匠がやってきた。
「肥料受け取りました。お代は月末に持ってきます」
「はいはい、それでいいよ」
そんな会話の後、私は師匠にキウイ畑の様子を話し、今年の収穫量の見込みについて説明をした。私の畑のキウイの出荷は、師匠が取り仕切っている出荷グループに引き取ってもらうことになっている。
「1年目にしては良い方だと思うよ」
「幸運でした。今年は花が良く咲いてくれましたから」
私は、ふと、思い出したように、師匠の農園に新しく入った研修生の話を差し向けた。
「どうですか?新しい人は頑張っていますか?」
私の質問に苦笑いする師匠。
そして、渋々、回答が返ってきた。
「今月いっぱいで辞めるよ。なかなか難しいよ」
「そ、そうなんですか!?」
私は少しだけ驚いて見せたあと、師匠と一緒に苦笑いをした。
この1年で2人目だ。
前回の人は、私が研修を終えて師匠のもとを去ったあと、すぐに農業研修生として雇われた。20代半ばの青年で、2度くらいしか会ったことはなかったが、溌剌とした印象だったし、やる気もあるように感じられた。私が苦手としている1.3tのトラックの運転も難なくこなせていたようで、師匠も期待はしていただろう。
しかし、4カ月で下曽我を去った。
それからしばらくして、今回の人が研修生になった。この人とは一度しか会ったことがなかったが、長年、師匠の農園で働いていて私もお世話になったSさんから噂はよく聞いていた。
「今度の人はよく働いてくれて、こっちも助かってるよ」
先月、畑に行く途中、Sさんとばったり会って、そんな話を聞いたばかりだった。
-今回は3カ月か。
いつの間にか降りだした雨を目で追いながら、農家の師匠と弟子は深いため息をついた。
これが農業研修生と研修先の農家を待ち受ける、厳しい現実である。
(第6回につづく)
著者プロフィール
細谷豊明(リブラ農園・代表)/1975年北海道生まれ。イギリス留学後、出版社・編集会社での勤務を経て、食品宅配事業のWebサイト、カタログ制作のチーフエディターに就任。2019年、44歳のときに小田原市に移住し、未経験ながらも農業の道へ。元エディターの経験を生かして、新規就農者の視点から農業の現実をブログにて発信中。小田原市・認定新規就農者。